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第4回”島”は見えていますか

石川直樹さんは東京で生まれました。中学2年の夏のことでした、司馬遼太郎の『龍馬がゆく』を読み、龍馬の生まれた高知に行こうと思い立って、「青春18きっぷ」で旅に出ました。高校2年の夏には、世界史の先生が「インドはいいぞ」と熱く語るので、心を動かされインド・ネパールへと1月間、一人旅をしました。
石川さんの旅先は、その後ベトナム・カンボジア・タイなどへ向けられ、大学生になってからは「世界7大陸の最高峰登頂」に挑み、エベレストに24歳で登頂して、最年少登頂記録を更新しました。
後で述べるように、石川さんはカヌーを漕いで南太平洋に浮かぶ島々の航海も行い、現在は、写真家として”地球の肌”の記録に努めています。このように、思いのままに地球を回って生きる石川さんは、「冒険好きな若者」と見られました。しかし、彼は「冒険家」と呼ばれることを嫌いました。
なぜなら、冒険とは「危いことを押し切って行うこと。成功のおぼつかないことをあえて行うこと」と辞書には書かれていて、石川さんのしてきていることは、そのようなものではまったくないからです。
それでは、どのような思いがあって、未知の地に赴いてきたのでしょう。石川さんは「100m登ったら何が見えるだろう。1000m登ったら何が見えるだろう。そういう《好奇心》が、ボクを育ててきている」と述べます。
大海原に浮かぶ島々へ旅するときの石川さんの思いも、変わりありません。「違う島へ行ったら、どんな人がいるだろう」と、知らずにいる世界への《好奇心》が彼を航海にいざなってきたのです。
石川さんの見聞きする世界は、幼かったころとは比べようもないほど広がっています。しかし、それでもまだまだ地球のほんの一部分しか目にしてきていない。だから未踏の地を訪ね歩いて、自分の視界を切り開いていきたい。そう願って、石川さんは”旅”をつづけてきたのです。
最近の若者たちを見てみますと、「やりたいことなんて、別にないですよ」とか言って、しらけた態度をとる者が少なくありません。そういう「冷めた生き方」や無気力な発言をする若者に出会うと、石川さんはやるせなくなります。
ボクにはやりたいことが、頭の先からつま先までつまっていて、《やりたいこと》だらけだ。その《やりたいこと》を一つずつ、小さい時からやってきている。石川さんはこのように語るのです。

§

地図帳を開いてみてください。南太平洋には、点としてしか表しようのない島々、また点としても表しようのないくらいに小さい島々が無数に浮かんでいます。それらの島の多くには、人びとが昔から生活してきていて、同じように大海に浮かぶ島々に生きている人たちに心を寄せていました。
そこで、小舟を漕いで海原に出て、生活の場を広げてきたのですが、その当時、ナビゲーターなどはありません。羅針盤や磁石を使って舟の位置を確かめる技術もありません。そのような時代に航海の安全を護ったのは、「自然の動き」を察知する舟人の鋭い感覚でした。
例えば、飛ぶ鳥の動き、潮の流れの変化、夜空に輝く星の位置、波のうねり。それらを全身で感じとり、自然が何げなく伝える「微かな動き」の変化から、間もなく訪れる事態を予測して遠海へと出ていったのです。
順風満帆に行ったこともありましたが、辛うじて命拾いした苦い航海もありました。それらの一つひとつの経験は互いに語り伝えて共有し、代々受け継いで「術」として高めてきました。何千キロも隔てた遠くの島々との交流が可能となったのは、舟人の知恵が古来から蓄積されてきたからです。
しかし、科学技術が格段に進歩した今日、その貴重な「術」を伝授できる舟人は、サタウル島に住む長老マウ・ピアイルグさんしかいなくなりました。そこで、世界の国々の”冒険家たち”はその貴重な知的財産を自分のものにしようと志して、マウさんを訪ねています。20代のときの石川直樹さんも、その一人でした。
さて、長期にわたる修行を無事に終えると、いよいよカヌーで大海原に船出する段になります。すると、マウさんは必ず「これから向かおうとしている島は、見えているか」と、問いかけるのです。
ハワイからタヒチまでの4000キロを復元航海したナイノア・トンプソンさんも、同じ問いを投げかけられました。
「見えています」と答えますと、マウさんはうなずいて次のように語ります。
《それでよい。その”島”を決して見失うな。その島を見失った時、お前は現実の航海で島を見失うことになる。/たとえそれがどんなに辛く孤独な道であったとしても、自分ひとりで旅を続けなければならない。その旅の途上で一番大切なのが”心の中の島”だ。”島は必ず見える”という信念。これこそが、現実の旅の途上で道に迷わないために最も大切なことなのだ。》(龍村仁『地球交響曲「ガイアシンフォニー」第3番 魂の旅』角川書店)
つまり、マウさんにとって、古代から伝授されてきた「航海術」は、《これから向かおうとしている”島”が、心の中にはっきり見えているか》という問いに凝縮されるものであったのです。
確かに、そのとおりなのかもしれません。船出するとき、行こうとする島は海のはるかかなたに浮かんでいますので、どれほど目を凝らしたとしても、見えるはずはありません。しかし、「その島に行きたいんだ」と熱く思い、心を躍らせている人には、目に見えるはずのないその島が、くっきりと見えてくるにちがいないのです。

§

私は、新しく「何か」をし始めようとしている人と一緒にいると、心がうきうきしてきます。いま取り掛かろうとしているその「何か」は、ずっと心にあたためてきたことなのでしょう。ですから、「いよいよ、その時が来た」と胸を大きく弾ませて船出しようとする、その鼓動が私にも伝わってくるのです。
あなたには、これから向かおうとしている”島”が見えていますか。もし、まだ見えていないのであれば、船出はしばらく見合わせたほうがいいでしょう。しかし、たどり着きたい”島”が鮮明に見えているならば、その”島”に向かってゆっくり漕ぎ出していきましょう。
目指す”島”は、まるで向こうからあなたに近づいてくるかのように、しだいにくっきりと見えてくるにちがいありません。しかし、その道すがら、忘れてはならないことがあります。それは「”島”は見えているか。”島”を見失っていないか」とたえず自問することです。
オランダには、古くから「リーダー」について、次のような諺があります。
一方の眼で水平線のかなたを眺め、一方の眼で自分の足もとを見て、2つの視線をひとつに結んでものごとを考える人。これが、人びとを率いるリーダーだそうです(犬養道子『人間の大地』中央公論社)。