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第11回佐渡裕と辻井伸行 幼いころから”凄い瞬間”を感じ取ってきた音楽家
指揮者の佐渡裕さんのもとには、世界中から膨大な数の音楽のテープが送られてきます。なかなか時間の取れない佐渡さんは、風呂に浸かりながらそれらに耳を傾けることがよくあります。
ある日、そうして送られてきたテープを聴いていたところ、思わず大声で「もっと音を大きくして」と伝えていました。「すぐにでもこの子に会いたい」と思ったそのピアノ奏者は、中学1年の辻井伸行さんでした。
佐渡さんは「あの時瞬時に感じたのは、伸行くんが心底音を楽しんでいる感覚でした」とふりかえり、次のように述べます。
「初対面の時にいきなり『弾いてよ』と頼んだときもそうでした。彼のキラキラした音が飛び出してきた。まるで伸行くんにだけスポットライトが当てられているようにすら感じたものです。演奏を聴きながら涙が止まらなかった。彼についている音楽の神様が姿を現したような瞬間でした」(辻井いつ子『のぶカンタービレ』アスコム)
読売交響楽団の「第九」の指揮を終えた芸術劇場で、佐渡さんは伸行くんと初対面しました。弾いてくれた曲は彼の大好きな「スケルツォ第2番」。ピアノを弾きながら、泣き出しちゃっている佐渡さんに彼は気づいていました。演奏が終わるとぎゅっと抱きしめられ、「すごい。感動したよ」と伝えられたのです。
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あれから7年、辻井伸行さんは21歳になって、今年6月に開かれたヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝を飾りました。
母いつ子さんの執筆した前掲書と『今日の風、なに色?』(アスコム)には、盲目の子がどのようにして世界的なピアニストに成長していったか、そのために母として何をしてきたかが書き綴られています。
いつ子さんはわが子の妊娠が分かると、チャイコフスキーのピアノ・コンチェルトを毎日聴いて過ごし、音のするおもちゃで遊ぶのが好きなので、ピアノのおもちゃを買い与えました。何か歌っていないと機嫌をそこねるので、知っているかぎりの歌を歌いつづけて育児にあたるいつ子さんでした。
生後8カ月のころ、伸行さんはブーニンの弾くショパンの「英雄ポロネーズ」がとてもお気に入りでした。テーマの部分に来ると、両足をバタバタさせて全身でリズムを取って喜んでいました。
いつ子さんがしてきたことは、世界の一流の演奏家の「音」を聴かせることだけではありません。「伸行は見えなくても心で感じとっているから」と実感して、美術館にもどんどん連れていきました。例えば、ウイーンの美術館ではガラス越しに指を絵に添ってふれさせ、構図を説明しながらクリムトを見ました。
「美しいものがあるなら、どんなところにでも」と思って、熱海の花火を見に行きましたし、沖縄に行ったときには沈む夕日の荘厳なまでの光景を一緒に見て、心の震えるような体験もしました。
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佐渡裕さんは小学時代をどう過ごしたでしょう。佐渡さんは京都市交響楽団の定期会員となっていて、チケットを自分で買い求め一人で演奏会に出かけていました。
少しも良いとは思えないような演奏に拍手している大人がいると、「何が面白いんだ」と憤りを覚えて会場を後にしました。演奏が終わってもひとつも汗をかかず、また髪も乱れていないような指揮者がいると、嫌悪感を強く抱きもしました(『感じて動く』ポプラ社)。
しかし、100回演奏会に行くとそのうち何回かは、わけもなく涙があふれてならなくなりました。そういう”凄い瞬間”を味わったときは、演奏会の模様を家族に話してやまない少年であったのです。
佐渡さんは前掲書で、カラヤンの次の言葉を紹介します。「子どもたちの前で演奏会をすることは非常に意味があって、それはいい音を届ける以上に、大人が子どもたちの前で一生懸命やっていることを見せることだ」
“凄い瞬間”との遭遇は、佐渡さんが指揮者の側になってからも何回となく訪れました。たとえば、当時70歳くらいであったアリシア・デ・ラローチャさんの演奏する、モーツァルトのコンチェルトを聴いたときです。
「彼女が一曲目に弾いたのは、喫茶店でもよくかかっているような、モーツァルトの明るい曲だった。/しかし、最初の音がポンと出た瞬間、その音があまりにも悲しく聴こえ、ポロッと涙が出てしまった。たった一音で感動したのだ。その音は、あまりにも美しく、あまりにも哀しかった。/モーツァルトが天才だと言われるのは、明るい曲を書いても、その中に、とてつもない哀しさが秘められていることにあると思うが、それを見事に表現し、心の奥底にまで響かせたアリシアさんは素晴らしいと思った」(『僕はいかにして指揮者になったのか』はまの出版)
また、バーンスタインがその晩年、マーラーの交響曲を指揮したときです。彼が指揮棒を振り終えても、客席から拍手は沸き起こらず、静寂の中に《すすり泣く声》だけがありました。こうした演奏会の後は、帰り道は誰とも話したくありません。頭の中は沈黙と演奏会の音だけに支配されてしまうのでした。
演奏会に出かけると、私たちは演奏者の奏でる「音楽」に耳を傾けます。しかし、佐渡さんによれば、聴衆の耳に入ってくるのは「楽器の物理的な音」だけではありません。「ステージにいる人が心で震わせた空気」が「客席にいる聴衆の心」を震わせ、その一人ひとりの心の震えが聴衆と演奏者をさらに震わせ・・・・というように、”共鳴しあう震え”もいっしょに耳に入ってきます。
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先にふれたように、伸行さんは生後8カ月のころ、ショパンの「英雄ポロネーズ」を聞いて、演奏がテーマの部分に来るとリズムを取って、足でふすまをバタバタたたいていて喜びました。
毎日毎日、何回も何回もプレーヤーにかけるので、そのCDの表面には傷がついて、あるところまで来ると止まってしまいました。やむをえず別の曲をかけることにしたのですが、彼の表情はすぐれません。そこで、いつ子さんは楽器店に行って、新しい「英雄ポロネーズ」を買い求めてきました。
ところが、そのCDをかけても彼の機嫌は直りません。もうこの曲は嫌いになっちゃったんだ。そう考えて、なだめたりあやしたりする母でした。
もしかすると、演奏者が違うのでそれが気に入らないのかもしれない。そう思って聞き比べてみると、2つの演奏はずいぶん異なって聴こえてきます。もし、ブーニンの「英雄ポロネーズ」を聴いて機嫌が直ることになれば、彼の「耳の力」の証明になるでしょう。
そう考えてブーニン版を買い求め、プレーヤーにかけてみると、彼は以前と同じように、手足をバタバタさせて全身で喜びを表しました。伸行さんが好きだったのは「ショパンの英雄ポロネーズ」ではなく、ブーニンの演奏する「英雄ポロネーズ」であったのです。
演奏会で”凄い瞬間”に遭遇すると、佐渡少年は涙があふれてきてならなりませんでした。そのときと心境は変わらなかったのかもしれません。生まれて間もない伸行さんも、CDで「ブーニンの英雄ポロネーズ」を聴くと心が躍ってきてならなかったのでしょう。