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第15回いつも《背伸び》していれば、いつかは背が伸びる――野口健さんのメッセージ
いつも背伸びしていれば、いつかは背が伸びる。――このように登山家の野口健さんは言うのですが、ほんとうでしょうか。
七大陸の最高峰登頂を25歳で果たし、世界最年少登頂記録を更新した野口さんの幼少年期は荒れていました。外交官である父は日本人、母はエジプト国籍(ギリシャからの移民)。4歳のとき彼は日本に帰国しましたが「外人」としていじめられ、後にはいじめる側に立ったりしながら小学校にも通います。
父が転勤すると3年生のときにはカイロに、6年生のときにはロンドンにと転住し、父母の離婚も重なって彼の生活は安定のしようがありませんでした。高校に入ると、ささいなことで友達に暴力を振るってしまい、自宅謹慎を命じられもしました。
日本に戻っての謹慎中、彼は気ままに旅をして、自由を味わいながら少しずつ自分を取り戻します。ある日、旅先の本屋で一冊の本を手にしました。それは植村直己の『青春を山に賭けて』(毎日新聞社)で、この本が彼の人生を変え、7大陸の最高峰登頂を目ざす《青春》が幕ひらくことになりました。
イギリスに戻った彼は、高校2年のときにモンブラン、3年のときにキリマンジャロと、次々に最高峰を極めていくことになりますが、それはけっして順風満帆ではありませんでした。
例えば、植村さんが行方不明になったマッキンリーを登頂したときには、ホワイトアウトのなかクレバスに落ち込みました。チョモランマでは吹雪の極寒の中、緊張の糸が切れて眠ってしまい、どのくらい眠ったのか目が覚めたときには、手足がしびれ感覚は失せて酸欠状態に陥っていました。
しかし、九死に一生を得たこの体験は、思いもよらず彼を成長させる機縁となりました。登山を断念して、ノース・コルへと下山し始めたときです。彼はそれまで見たことのない光景を目にしたのです。ふと見上げた空には小さな星がまばたいていて、次第に、満天の星空に変わっていきます。
そのとき、エベレスト登頂を果たせずにきた理由が理解できました。それは登山術が不足していたとか、天候に恵まれなかったといったことではなかったのです。星空を見ることなどまったくせず、ただ、がむしゃらに登山していた自分にこそ問題があったことに気づかされたのです。
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野口さんはその後、3度目の挑戦でついにエベレスト登頂を果たし、全大陸の最高峰登頂を達成します。冒頭に掲げた言葉はそのときのものです。野口さんは次のように述べます。
「この3年間、僕はエベレストに登ることだけを目標に生きてきた。/だが、自信などなかった。なかったからこそ、周りにも、僕はエベレストに登ります、と言い続け、自分にも、登れるんだ、と言い聞かせてきた。そうでもして自分自身にプレッシャーをかけなければ、とてもこの山には登れそうにもなかったのだ。/気がつくと、背が伸びていた。エベレストに手が届くようになっていた。そんな感じだった。/いつも背伸びしていれば、いつかは背が伸びる」(『落ちこぼれてエベレスト』集英社)
《背伸び》とは、高い所に置かれたモノを手にしようとして、背を伸ばすことです。体の大きな大人の後ろにいる子どもが、背筋を思いきり伸ばして向こうをのぞき見ることも《背伸び》です。また親におんぶや肩車をせがみ、遠くを眺めることも《背伸び》の一種でしょう。
手の届きそうにない《高い目標》を達成したければ、その目標を目ざして、いつも《背伸び》をしていればいい。《背伸び》をやめることがなければ、遠くかなたに見えていたその目標に、いつか手が届くようになる。
野口さんはこのように、私たちにメッセージを送ります。エベレスト登頂を果たすために野口健さんがした《背伸び》、それは原点に立ち帰り、山に対する純粋な気持ちをもちつづけながら、エベレスト登頂に必要な力を着実にたくわえることでした。
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高い目標を目ざす《背伸び》に対しては、自分の力以上のことをしようとする[向こう見ず]として、肯定的には考えない人がいます。自分の実力に合ったことをして、無理のない生き方をする人が「身のほどを知る賢い人」とされるのです。
いったいぜんたい、《背伸び》というのは望ましいことなのでしょうか、それとも、できたら避けたほうがいいことなのでしょうか。
斎藤喜博さんは質の高い授業の創造に努め、子どもの可能性を限りなく切りひらきました。その教育観の根底には次の指摘から分かるように、「人は《背伸び》をすることによってしか成長できない」という認識が強くあります。
「(教育においては)本質的で質の高い教材や課題を与え、思いきり背のびをさせ、新しい質の高いものを子どもに与えていくことが必要である。絶えず背のびをさせることによって、子どもや学級のなかに緊張関係は起こり、子どもの能力はひき出されていくからである。背のびをし課題を克服することによって喜びを持ち、子どもの能力はいっそう引き出され高められていくからである」(『教育学のすすめ』・筑摩書房)
子どもというのは、楽々とできてしまうようなことばかりさせられると、その成長を鈍らせます。しかしまた、いくら努力してもできるはずのない無理難題が与えられるようでは萎縮して、自信を失せていきます。
斎藤さんが強調するのは、「そのときどきの子どもの力に応じて、努力し工夫すれば到達できるというもの」を与えて、思いきり《背伸び》をさせることです。野口さんの言葉を生かすならば、子どもの手が届きそうで届かない課題に挑ませて《背伸び》をさせ、その課題を突破させることです。
そのような体験を授業のなかで重ねていくならば、子どもの背はいつかは伸び、未踏の道に分け行ったとしても、何とか踏破しようとする力が培われていくのです。
野口健さんがエベレストの頂上に立ったのは、旅先で植村直己の本に出会ってから、ちょうど10年目(1999年)でした。空を見上げると、雲がすぐ手の届きそうなところにまで来ていました。そのことをからだ全体で感じながら一歩一歩頂上に向かって歩み、ついに山頂を踏みしめたのです。