お知らせ
第20回世界の果ての通学路――子どもたちはなぜ命懸けで、毎朝学校に通うのだろう
ケニアのジャクソン君(11歳)は妹のサロメさん(7歳)と、片道15㎞の道のりを2時間かけて学校に通う。小走りで横切るサバンナの草原には、ゾウやキリン、シマウマなどの野生動物が生息している。1mほどの木枝を手に携え、周囲の状況にたえず気を配って、危険を感じたならば草陰に身を潜めて時を見はかる。無事に学校に着けますようにと、両親は毎朝祈りを欠かさない。
ザヒラさん(12歳)はモロッコのアトラス山脈の辺境に生まれ、家族で初めて学校に通う身となった。冬になると気温はマイナス20度まで下がり、雪が数か月にわたって降る。片道22㎞を月曜の朝早くに家を出て4時間、途中で友達2人が加わって歩きつづける。街に入ると、手提げ袋に入れて来たニワトリを食料と交換する。寮での生活を5日つづけ、金曜の授業を終えると家路に戻る。
アルゼンチンのアンデス山脈の一隅で、羊飼いの息子として生まれたカルロス君(11歳)は、片道18㎞の道のりを馬に乗って学校に通う。妹のミカイラさん(6歳)が学齢になったので、1時間30分、2人を乗せて馬が行く。天候が変わりやすい石ころだらけの山道を踏み外さずに歩む馬。大人になったら獣医になって、地元に貢献しようと思うカルロス君である。
インドのベンガル湾沿いの漁村に生まれたサミュエル君(13歳)は、足が不自由で一人では歩けない。オンボロの車いすを弟2人が押して引いて、1時間15分かけて片道4㎞の道のりを登校する。少しでも近道しようと思って小川を渡ろうとすると砂にはまり、街中に入ってスピードを出すとタイヤが外れる。が、そういうハップニングも楽しむかのような道中である。校門を入るや友達が駆け寄って迎え、先生は「無事に登校してくれてありがとう」と、一言言って授業を始める。
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ドキュメント映画『世界の果ての通学路』(On the way to school)は、どうしても早くに見たかった。6月末の土曜日、小雨の中を渋谷の小映画館に出かけると、50ほどの座席は親子連れや年配者などで満席となり、目の前のスクリーンに映像がひろがった。
カメラは学校に向かう4組の子どもたちに同行して、その姿をフィルムに収める。時には遠くから眺望もして、それぞれの通学の道行きを撮影する。
キリンの群れを遠目に「急げ、遅刻するぞ、離れるな」と小走りする兄妹。足を痛めた友をマッサージし、ひとつ心に下山していく少女たち。よくも走れるものだと感心してしまうオンボロ車いすを上手く使いこなす兄弟たち。目をいくら凝らしても見えることのない、ずっとずっと先に在る“学校”へとたゆみなく歩む子どもたちは、何とも精悍である。
この映画を観た人たちは、その感動をインターネットに思い思いに書き綴る。
○あんなに小さい子どもたちが自分の足で何時間もかけて学校を目指す様に、ただただ尊敬の念。厳しい通学風景の中でも、無邪気な子どもらしさが垣間見え、ほっこりした。
○人が前に進む手段は足と志だという普遍の真理が淡々と心を揺さぶる。
○人は何も持たずに生まれてきて、何も持たずに死んでいく……。そんなことを小学生のときに理解しているなんて、通学の困難さ以上にすごいと思った。
○子どもが夢を語るときの表情って、なんであんなに輝いとるんだろう。
○自分の障害をみんなが支えてくれ助けてくれた。今度はぼくが医者になって、同じ苦しみを味わっている人を助けてあげたい。この言葉が忘れられません。
ケニアのジャクソン君とサロメさんは、4月初め、映画公開に合わせて東京に招かれた。2人はテレビに出演して、次のように英語で語った。
ジャクソン君《学校への道のりですが、大変な道のりではありましたが、それは知識を習得するための道のりであり、その知識はのちの人生に役立ってくれるものです。自分の将来を救ってくれるのは、教育しかありません。たとえ学校に行く道に危険はあっても、学校に行くことじたいがいいことなのです。
本来、学校は忙しい場所で、やるべきことはたくさんあるし、真剣にやらなきゃならないことだらけで、先生も本も自分をより高めるためにある。やるべきことはたくさんある。未来がいいものになるなら苦じゃない。学校は明日のためにチャンスをつかむ場所です。》
サロメさん《もっともっと勉強がしたいです。将来自分と家族の助けになるために。》
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彼らはなぜ命懸けで、毎朝学校に向かうのだろう?――映画はテロップで、こう問いかける。ほんとうに、なぜに彼らは15㎞、22㎞も離れたはるかかなたに在る学校へ、身の危険を顧みずに何時間もかけて通うのだろう。
学校というところには、それほど子どもを引きつける何かがあるのだろうか。真剣に取り組まなければならないことがぎっしりあって、自分が少しずつ高められていると実感できるところなのだろうか。
彼らが数時間かけて通うその通学路は、学校に向かうただの道ではない。それは、間違いなく“もう一つの学校”として存在している。頼れるのは自分たちのみという道行きを、自らを深く見つめ、家族に思いを馳せ、自然の“巨きさ”をかみしめて歩く。「生きる」という重い問題を、からだとこころとあたまで考えて歩む“学校”である。
人は何も持たずに生まれてきて、何も持たずに死んでいく……。この理(ことわり)は、学校の教室で先生に教えられたものではない。通学する道すがら、悟りが扉をひらくようにしてつかみとられてきた「人生というもの」である。
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現在、学校に行けない子ども(6~14歳)は世界に約5700万人いて、世界の成人の6人に1人は読み書きができないという(EFAグローバルモータリングレポート)。
学校に行きたくても行けない子ども、学校に行けても行かない子ども、学校に行きたくなくて行かない子ども、学校に行きたくないがしかたなく行く子ども、そういう子どもがいて、そしてまた、学校に行きたくて行く子どもがいる。学校って、いったいどういうところなのだろう。
8月5日、AFP=時事通信は、パレスチナ自治区ガザ市の学校の黒板に「Gaza 2014」と書く一人の子どもの写真を配信した。イスラエルの砲撃が学校をもそのターゲットとしていたことを知り、私は愕然とした。
教室の黒板や壁には砲弾の貫通で大小数十の穴が空き、床には板壁などが崩れ落ちている。舞い散った粉塵で白くおおわれた黒板に、少年は指で「Gaza 2014」と書く。つい数日前まで勉強していた教室の、ほこりをかぶった黒板に「学校が終焉したこと」を書きつける少年である。その指先を見ると、さらに何かをそのあとに書き足そうとしている。何を書き加えたのだろう。
2001年9月11日の同時多発テロに端を発して、アフガニスタン各地では、タリバン兵士を掃討する戦闘が激化した。ひとまずは落ち着きを取り戻すことになり、平常に戻りつつある難民キャンプの様子がテレビに流れた。
そのキャンプでは、冬空のもと、きわめて貧しい衣服の小学生30~40人が地べたに座っていて、先生が立っている。黒板も椅子も机もなく、教科書も参考書もノートも鉛筆も消しゴムもなく、ノートの代わりをするのは地べたで、鉛筆の代わりは指や石がしていた。
梶田正巳さん(認識心理学者)は、このテレビを見ての感銘を次のように書き記す(『勉強力をみがく』ちくま新書)。
「まったく何もないのである。勉強の環境としては、これ以上悪いものはないなかで、ただひとつ強烈にその存在の光っていたものがあった。/子どもたちの学ぶ熱意である。ニュースの映像は、それをありありと伝えていた。報道記者の質問に、子どもたちは、いま勉強が一番楽しい、字を憶えたいし、算数ができるようになりたい、とはっきり答えていた。それが素直に受けとめられる光景であった」
津田梅子さんが女子英学塾(津田塾大学の前身)の開校式で語った式辞も思い出す。津田さんは明治政府の女子留学生第1号として7歳で渡米し、11年間の留学を終えて1882(明治15)年に帰国した。それから18年を経て1900(明治33)年に開学した英学塾には、10人の入学生があった。
式典は借家である同塾の10畳ばかりの日本間で挙行され、津田さんは「わたくしが十数年教育事業に関係いたしております間に深く感じたことが2つ3つあります」と式辞を切り出した。それは、私学の創立者であれば、建学にあたって誰もが心においたであろう、次のような思いである(山崎孝子『津田梅子』吉川弘文館)。
○ほんとうの教育はりっぱな校舎や設備がなくてもできるものであること
○物質の設備以上にもっとたいせつなものは、教師の資格と熱心と、それに学生の研究心とであること
○真の教育をするには、少人数に限るということ
世界の果てでは、今日も朝早くに家を出て、はるかかなたに在る学校へ通う子どもがいる。このことを忘れないでいたい。