ビジネスライフ学科
If I must die
プロローグ
ブログは、学生との出会いと別れを書くことが多かった。その理由は、ブログの執筆が3月(卒業~別れの月)または4月(入学~出会いの月)に書くことが多かったためである。
今回は、my storyを書くことにした。その理由は、先だってNHKで放映された「If I must die」を見たからである。
NHKスペシャル「If I must die」において、「ガザ 絶望から生まれた詩」と以下のようにかいてある。
絶望的な状況が続くパレスチナ・ガザ。そこで生まれた一編の詩が、いま70以上の言語に翻訳され、世界を駆け巡っている。この詩を書いたのは“言葉による抵抗”を掲げてきたガザの詩人リフアト・アライール。「私の物語を伝えてください」と語るその詩は、詩人の死と共に世界に拡散した。“戦争”という暴力を前に、言葉は抵抗の力となりうるのか。
その一文は以下のとおり
If I must die,
you must live
to tell my story
…
もし、私が死ななければならないなら
あなたは生き続けなければならない
私の物語を語り継ぐために
…
この高度な詩の解釈とは異なるが、せめてゼミ生に千葉経済短期大学部にこんな先生がいた。そんな先生(私)の話を残してみようと思ったからである。
ゼミでは、
もし、先生が死ななければならないなら
あなたたちは生き続けなければならない
先生の物語を語り継ぐために
なんて、こじつけて話したことである。厳選した話を紹介します。
My story1 一歳時の傷
近所の女の子に抱っこされ、顔から落とされた。その時、3針縫った跡が唇の裏に残っている。
My story2 三歳時の心肺停止
ある冬の出来事である。凍結した池のドボンと落ちたのである。大好きな魚を見るためかはわからない。わたしを拾い上げてくれた、当時の若き女性は、今年95歳になった。
二日間、意識不明で天国を彷徨っていたらしい。すべて聞いた話で本人に記憶はない。
My story3 一人旅
人、過ぎ去りし日を振り返ったとき、楽しい思い出、悲しい思い出が心ひそかにポツリ、ポツリと湧いてくる。生きることは、思い出作りの段々道を作りゆくことではないかと感じる。若かりし頃、2月、3月、4月になると思い出すことがある。それは、バイトでためた資金をもとに卒業式にも出席せずにヨーロッパに旅行した時のことである。学生によく言っています「お金が貯まったら海外に行ってみるといいよ、人生観がかわるかもよ」なんてね。
My story4 ある日の先生の休日(数年前)
起床は、午前3時、釣り場到着午前4時、数匹のおかずを抱えて午前7時帰宅、午前8時ゴルフ場到着、18ラウンド後午後3時帰宅、スーツに着替えて午後6時学校到着、午後7時講義開始、講義終了午後10時、帰宅午後11時半、食事・入浴を済ませて午前1時、明日締め切りの原稿に執筆にかかる。…数か月後の10月過労?で入院。
なぜそこまで遊ぶ。「楽しいから」である。楽しみこそ力の源泉であると思う。楽しさとは、誰からも強制されない、自分自身のものである。勉強もささやかな感動を味わい、楽しさを発見できれば、費やした時間分だけ実力を授けてくれるに違いない。
My story5 人生の主人公
人の世、直線の道もあれば、二筋、三筋の道もある。そして、その繰り返しで時が過ぎていく。一人で歩けば悩む。二人で歩けば悩みが遠のく時があった。信じる力、愛する力、委ねる力があれば新たな道も姿を現す。ここまで生きたんだ、自分の年なんて忘れよう。自分の「夢」は年を取っていない。人生の主人公、ひたすら生きていこうと思う。
(by 並木)