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ビジネスライフ学科

初夏の候に書架を想う

 

 

 もう間もなく夏休みを迎えます。夏休みは、好きな本を好きなだけ読める貴重な機会でもあります。司書課程の担当教員となって初めて書くブログですので、夏休みを前にした今回は、書架の魅力について、個人的な回想を交えて綴ります。

 初めて本屋に行った記憶について振り返ってみたのですが、今となってはもう辿れません。それでも、初めて自分で本を買った記憶はある程度残っています。確か小学4年生か5年生の頃、少年野球チームのレギュラーメンバーになったことが嬉しくて、野球の守備についての本を柏の浅野書店で買いました。地元の駅の改札で往復切符に改札鋏(かいさつばさみ)を入れてもらい、一人で電車に乗り込んで柏の本屋に向かったのは、当時の私にはちょっとした冒険のような経験でもありました。

 本屋の書架には子供向けのいろいろな野球の本がありました。手に取ってパラパラと見てみる(「ブラウジング」という)と、チームの監督やコーチには教わっていないようなことも書いてあり、素直に「すごいなあ」と感じ入りました。多くはバッティングやピッチングなど野球の花形プレーに関するものでしたが、私が購入した1冊は外野の守備について書いてある、今風に言うと「ニッチな本」「マイナーな本」でした。レギュラーメンバーといっても、外野の守備が見込まれてなっただけのことで、投打に活躍する大谷翔平選手のような存在では全くありませんでした。

 そんな私にも向いている本が本屋の書架に並んでいるというのが嬉しかったのだと思います。帰りの電車では、外がすっかり暗くなったせいで窓に映っている自分の姿が見え、書店の紙袋に本を入れてちょっと高揚した面持ちで持っている、そんなぼんやりとした記憶があります。こうした経験があったからかどうかは分からないのですが、人気の本、話題の本、主流の本、などに特に拘らず、自分に合った自分の必要とする本を、じっくりと店の書架で選ぶという流儀がその後に身についていったように思います。

 初めて洋書を本屋の書架で見たのは、中学生の頃だったと記憶しています。横浜にある祖父母の家に年に数回遊びに行った帰りに、伊勢佐木町にある有隣堂書店(本店)によく寄りました。建物の各階すべてに本が並んでいる様は本のデパートのようで、初めの頃はどこに何があるのかを見て回るので精一杯でした。ある時、ある一角にかなりの量の洋書があることに気づきました。中学生の私にとって、それらの洋書の書架の列との遭遇は、全くの異文化体験だったのだと思います。なぜだかは忘れたのですが、その中の数学(?)の分厚い専門書を手に取り、ぼんやりとですが、「大人になったらこういう本を普通に読めるようになるのかな」と感じたことを今でも覚えています。

 コロナの5類感染症への移行後、大手町丸善の洋書コーナーを3年振りに訪れました。大人になった私でも、さすがに分厚い数学の専門洋書を「普通に読めるように」はならなかったのですが、自分の専門関連のものであれば、ほぼ「普通に読めるように」なりました。丸善では、自分の興味関心のおもむくまま1~2時間は書架の間を漂って、最後に数冊買って帰ります。このひとときは、書架に並んだ本と自分の内面との濃密で豊かな対話の時間のようで、私にとって貴重なものです。

 図書館の現場職員としては、海外の図書館の実態を理解すべく、できるだけ現地に見に行くよう心掛けていました。楽しみの1つが、書架の本の並び具合をじっくり見ることです。一部で通用する業界用語か隠語のレベルかもしれませんが、「棚力(たなぢから)」という言葉を聞いたことがあります(図書館用語辞典等にはでていないようです)。書店や図書館の棚(書架)の本の並び具合などが、どれだけ魅力的で知的好奇心をかきたてる力があるか、といった文脈で使用されるようです。アメリカでもカナダでも、ドイツでもオランダでも、訪れた図書館ごとに、日本の図書館では感じたことのない「棚力」を感じました。図書館の知的歴史の厚みの違いに起因するものと個人的には見ていますが、司書課程の科目では、こうしたことも受講者にお伝えできればと考えています。

【雑誌と図書の混排(混ぜて排架すること):ヴュルツブルク市立図書館(独)】
・QRコードで書架からオンライン情報へと誘う発想も秀逸

 学生の皆さんも、夏休みにはヴァーチャルでなくリアルな図書館や本屋さんにぜひ出向いて、書架との対話を試してみてください。素敵な書架、素敵な本との出会いがあるといいですね。

(by 叶多 2023.6.7)